やさしくつよくおもしろく
ほぼ日刊イトイ新聞、2022.02.25、今日のダーリンは、ウクライナでロシア軍による戦争がついに開戦されたことについてだ。
昨日、宣戦布告された。
日本のテレビはこぞってこれを報道するものの、日本人は、自分と関係はないからどう考えていいのか分からない態度を示すのだろうなぁ、などと私などは考えていた。
実際、自分のスマホに「モスクワ証取、全取引停止 」という怖い知らせが届いて友人数人にそれを転送ラインすると、Grammy賞受賞を控えて( また、ラスベガスでのコンサートを控えて )韓国からいずれ出国するであろう国際的アーティストのBTSが、「 もしかしたら、渡米したまま帰国を延ばすだろう 」との憶測返信があったくらいだった。
キエフをベルリンのように東西ふたつに割る狙いらしい。
こんな誰かの解説を返信してきた人もいた。
ウラジーミル・プーチンは、そうして歴史に名をのこしたいのだろうか。
コロナで経済が疲弊しているのとプラスアルファのその理由とで、戦争をはじたのだろうか。
実はプーチン大統領は、NATOに加盟するのが夢だがそれをある国が許さないので出来ないのだと、事実として述べた解説者がいた。
糸井さんは昔、学生運動をやられてて○○○のヘルメットを被り真剣に活動されいた( そのVTRも実際に見たことがある )が、悪いことには悪いと現代においても発言する気概に対して、うれしく思った。
彼は悪いことに対して意見を述べ、それから自分のできることはきちんとやっていかなくちゃ、と表している。
こんな大人がまだいらっしゃることがなんだかうれしくなった昼下り、でした。
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・知ったようなことは言えないが、なんとも嫌な感じがある。距離があるだけに、なにも見なければなにも見えない。昨日と似た日本の空が広がっていて、たぶん明日もそうだ。しかし、なにも見ないでいることもできないわけで、不確かだったり、よくない雑音だったりも含めて、細切れの情報がひっきりなしに渦巻いている。現実に、戦争がはじまっている。それをできる権力を持った人間が、「やる」と決めたらできてしまうものなのか。他の立場の国やら、いわゆる国際世論やら、国内の世論に気遣う素振りもないまま、戦争ははじめられた。
なんだか、一気に歴史の時間が巻き戻されたような。そんなことがあっていいんだ、できてしまうんだ? どういう理由でもこじつけて、なんでもやれるものなのか。これまで、人が考えたり進めてきたような善きことが、すべてひっくり返されたような気持ちがある。どういうものでも、つくるのは時間もかかるし難しい。しかし、それを壊すのは一瞬でできてしまったりもする。暴力には、そういう「簡単さ」がある。
たいしたことのないもの、ただちょっとおもしろいこと、そんなものを、小学生の工作のように続けてきた。たぶん、これを読んでる人だって、似たようなものだろう。好きな人がいたり、だれかをちょっとよろこばせたり、なにかを見つけたり、いくらか勇気を出したり、そんなことばっかりを積み重ねて、生きて老いて、やがてみんなにお別れしていくのが人生だ。そういうことが、すべてぶっ潰されてしまう悔しさがある。ミサイルも戦車も銃も、心もなければ痛みもない機械だ。そういうもののほうが強いなんて、どうにも腹立たしい。
いまの感染症もそうだけれど、地震も津波も、豪雨も、人間が命令してやらせたものではなかった。悲しい辛いことではあるが、天を仰いで嘆くことができた。戦争はそれとはちがう、人がやらせている。怖がらせて、力でなにかをしようとする。こういう場面で、いまは無力なじぶんをそのまま知る。そこから、どうしていくのか、どう祈るのかわからないが、まだずっと「やさしく、つよく、おもしろく」でいたい。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。なるべく視野を広くもって、おちついて。と思っております。
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ほぼ日刊糸井新聞 2022.02.25
今日のダーリン
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そして事態は少しも改善しない
2022年 3月1日、昨日隣国のペラルーシでロシア・ウクライナ首脳陣による会談が開かれました。
ウクライナ首脳たちの命をロシア軍が狙っていて、そういう部隊が送り込まれているなんて情報もネットなんかでぼんやり見ていたから、出かけるはずがないではないか、会談自体でっち上げで彼らをあぶり出そうとする作戦か?なんて勘ぐったりしていました。
世界的に発表された予定に、そんな罠はあるわけなく、ベラルーシの外相が安全を保証する挨拶をして会ははじめられていたようだったのですが、すでに前提条件が互いに高いところにあって譲らず、交渉は持ち帰り次回また会談がひらかれることとなったのでした。
そんな翌日の、
ほほ日刊イトイ新聞 今日のダーリンです。
2022.03.01
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・こういうときは、しょうがない。書きはじめた原稿を30行くらいのところでやめて、また全然ちがったことを書きはじめる。それも、やっぱり20行くらい書いて止まってしまって、ぼんやりと天井をながめたり、読まなきゃいいのにと思いながらニュースを読んだり、冷蔵庫のなかを覗いて、なにか取り出して飲んだり、そういうことをしているうちに時間が過ぎていく。
・つまり、試験前の詰め込み勉強みたいな感じで、いろんな人のいろんな考えを読んだりしても、頭のなかがごちゃごちゃしてくるだけなのだと思う。こういうことを続けていると、しだいに自罰的になってきてよくない考えにもなりやすい。しかし、まだ2月24日から一週間も経っていないのだ。いったん、いったんすべてを振りほどいてみたい。
・ひと月先は、どうなっているのだろう。じぶんの気持ちも、世の中のいろいろも。そういえば停戦競技の会場、だれもマスクしてないのね。
・やさしい人かと問われたら、そんなことはないと答えるしかない。やさしくないことを、じぶんがよく知っている。正しい人かと聞かれたら、そんなわけはないと笑うことになる。なにが正しいかさえ、わからなくもなるのに。
・唐突に言うが、「ごはん炊き」はいいな。微妙にその都度ちがった炊け方になるのだけれど、それこそ、「みんなちがってみんないい」のだ。米粒のひとつずつが独立していて弾力があり、なのにたがいによくくっつき合ってるのが最高かな。米のめしがうまいと、なんでもおいしくなる。そういえば、うまい「とんかつ屋」とか「焼肉屋」は、ほぼ確実に、ごはんと漬物がうまい。
・戦争という極大の暴力が、人びとが大切にしてきたものを、みんな無にしてしまうようで、ほんとうに悔しい。とにかくみんな、ぼくも、元気でいよう。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。威勢のいいこと利口そうなことを言いたくなるのに注意する。
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ほぼ日刊糸井新聞 2022.03.01
今日のダーリン
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